阪急十三西口にて。

愛したのはきっと。

あなたの子に産まれて

 

「オモニがにんにくたっぷりのミートスパゲッティよく作ってくれたの覚えてる?」

昨日の夜のことだった。

「あの味が忘れられなくて、どこで食べても物足りないんよね。」

そう言われて、確かに母がよくミートスパゲティを作ってくれたのを思い出した。

それと同時に、ふと、自分がミートスパゲティがそんなに好きじゃないことも思い出した。

そして、何故そんなに好きじゃないのか。

そんなこと気にしたこともなかったけど、きっと、母が頻繁に作るから、苦手意識が産まれてしまったのだと気づいた。

でも、母が、姉が喜ぶからよく作っていたのだと、それは32歳にして初めて知った。

また、胸がきゅっと切なくなった。

 

 

5人兄弟に産まれて、兄はそうそう川で溺れ死んだ。

姉と私が「健常者」として産まれて、妹も弟も兄と同様、重度の障害を持って産まれてきた。

 

だから、家族と、母と父と、どこかに出掛けた記憶なんてまったくない。

とくに母は、私と姉が親族に連れられて、湯村や有馬の温泉に連れられても、兄弟の面倒を見るために家に残ってた。

 

姉は顔も性格もよく、真面目で、頭もよくて、自慢の娘だった。

私はそうはなれなかった、姉が中学に入る頃、父から14万の時計が送られたが、私には何もなかったのも「自分にその価値はない」と自然に飲み込んでいた。

 

 

去年の年末、神戸の北野坂にあるバーに先輩につれていってもらった。

店を出て、千鳥足で坂の上からハンター坂を見下ろす。

ふと、母と、一度だけ二人で神戸に来たことを思い出した。

 

確か、小学校6年のとき、二人で。

その時、今はもうないけど、このへんの寿司屋でランチ食べて。

 

震災から5年ほどしか建ってなかったけど、神戸はその頃にはもう都会の色を取り戻してて。

確か秋だった、コンクールで着る服を買いに。

私が神戸が好きなのは、母との思い出の場所だからなのかもしれない。

きっと、あなたは覚えてもないだろうけど。

 

 

 

 

 

「そうだね、よく作ってたね。」

 

だから嫌いになったんだよ、そんなこと言えるはずもない。